東京高等裁判所 昭和60年(ネ)54号 判決 1986年1月29日
控訴人
株式会社英進
右代表者代表取締役
畑野松三郎
右訴訟代理人弁護士
河嶋昭
被控訴人
練馬区
右代表者区長
田畑健介
右訴訟代理人弁護士
土屋公献
中垣裕
大宮竹彦
右指定代理人
平上嗣郎
外二名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
原判決を取り消す。
被控訴人は控訴人に対し、一二六四万八〇〇〇円及びこれに対する昭和五五年四月二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
控訴棄却
第二 当事者双方の主張及び証拠関係
次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示及び当審記録中の書証目録、証人等目録の記載と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決四枚目表一〇行目の各「要項」をいずれも「要綱」と、改める。)。
一 控訴人の追加主張
被控訴人が本件建築確認の際にした行政指導は、多数の近隣住民の陳情に目を奪われ、控訴人に一方的な犠牲を強いるものであつて、適切妥当な行政指導ということはできない。
すなわち、控訴人は被控訴人に対し、近隣住民が本件西側通路の使用を直接控訴人に対して陳情するのであれば控訴人はこれを考慮する旨を申し入れ、被控訴人にしかるべき措置を求めたにもかかわらず、被控訴人はこの点につき何らの措置をなさず、また控訴人は被控訴人に対し、本件女子学生寮を昭和五二年三月末日までに完成しなければならない必要性を説明し、工事の進捗を図るために本件西側通路に隣接する私道の使用につき近隣住民の同意が得られるようその斡旋を依頼したが、被控訴人はこれについて全く考慮を払わず、一方的に本件西側通路の使用を要求し、これに応じなければ建築確認をしないような態度をとつた。
被控訴人の右のような不公平な行政指導のため本件建築確認は大幅に遅れ、かつ控訴人は本件西側通路に隣接する私道を使用することができなかつたので本件建築の一部設計変更及び工事の遅延を余儀なくされたものである。
二 被控訴人
控訴人の当審における追加主張を争う。
理由
一被控訴人練馬区においては別紙<略>記載の「練馬区中高層建築物に関する指導要綱」(以下「指導要綱」という。)が定められていること、控訴人が原判決添付別紙物件目録三記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築するため昭和五一年八月下旬練馬区長に対し指導要綱八項に基づき、誓約書、建築計画書、関係住民の了解書等の書面を提出したこと、被控訴人が控訴人に対し同目録一記載の土地の一部である同添付図面イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・イの各点を順次直線で結ぶ線で囲まれた部分(以下、「本件西側敷地部分」という。)を付近住民の通路として提供するよう折衝したこと、指導要綱は右のような通路の問題を建築指導の対象としていないこと、控訴人は同年一〇月五日、被控訴人に対し本件西側敷地部分を通路とすることを了解し、将来被控訴人が道路を整備する際には協力する旨回答したこと、同日、練馬区長は控訴人に対し指導要綱九項所定の適合通知書を交付し、控訴人の建築確認申請を受理したこと、控訴人は同年一一月八日被控訴人の建築主事から本件建物の建築確認通知を受け、同月中旬建築工事に着工し、翌五二年三月下旬に本件建物のA棟(事務所)、B棟(五〇室)、C棟(八〇室)を完成し、同年四月からこれらを使用することができたこと、D棟(九五室)は同年九月初旬に完成し、同月以降使用可能となつたことはいずれも当事者間に争いがない。
二右争いのない事実並びに<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
1 控訴人は、英進予備校と称する進学予備校を経営するものであるが、その学生寮(本件建物)を建築するため、昭和五一年六月二二日原判決添付物件目録一、二記載の各土地(登記簿上の地積は、二二四二平方メートルと一七二六平方メートル、以下、「本件土地」という。)を取得し、同年八月下旬、指導要綱に基づく後記関係書類を被控訴人に提出し(なお控訴人は当初指導要綱に基づき隣接住民三分の一以上の同意書を提出したが、本件建物の建築工事に対しては付近住民の強硬な反対があつたため、被控訴人の建築部指導課の要請により更に四分の三以上の同意書を得て同月三一日に追加提出した。)、同年九月七日、本件建物の建築確認申請書を被控訴人の建築部指導課に提出した。
なお、控訴人は、本件建物を昭和五二年四月の新学期に間に合わせるため、遅くとも昭和五一年一〇月初旬には着工するつもりであつたので、その旨を被控訴人に申し入れた。
2 被控訴人においては、日照、電波障害、騒音、振動などの生活環境を保全するため、これらに関する建築紛争を未然に防止し、また、紛争が生じた場合にはその調整を図り、近隣住民との摩擦のない円滑な建築が行われることを目的として指導要綱を設け、それを運用していたものであるが、右指導要綱によれば、建築物を建築しようとする建築主は、右要綱に定める標識を建築予定地の見やすい場所に設置するとともに、すみやかに建築計画の内容などを関係住民に説明し、関係住民の了解(隣接地住民の三分の二以上、日照関係住民の四分の三以上の書面による了解。なお了解を得られなかつた関係住民については、その理由を明らかにする。)を得た上で、誓約書(その内容は、指導要綱に基づく区の指導に従い関係住民との間に紛争が生じないよう努め、紛争が生じた場合には誠意をもつてその解決に当たるというもの)、建築計画書、建築計画についての報告書、関係住民の了解書、付近状況図などの関係書類を区長宛に提出し、区長は、右関係書類の内容を審査し、適切な指導を行うとともに、指導要綱に適合しているものについては、建築主に適合通知書を交付することになつており、建築確認申請の受理は右適合通知の後に行われていた。
3 本件土地を含む西武線大泉学園駅南側一帯は道路事情が悪く、これが将来の地域開発の支障になつており、本件土地の南側に居住する住民はかねてから本件土地の一部(本件西側敷地部分辺り)を西武線大泉学園駅へ向かう通路として事実上使用していた。
ところが、控訴人は、昭和五一年六月本件土地を取得した後、本件土地と西側隣接地との境界に塀を設けて住民の通行を遮つたため、地域住民との間に本件西側敷地部分の通行に関し紛争が生じ、同年九月一四日、地域住民三八二名から「英進予備校学生寮の建築に関連して地域住民の生活道路を確保するよう行政指導を賜りたい。」との七名の議員の紹介による請願書が練馬区議会議長及び練馬区長宛に提出された。
また、地域住民は被控訴人に対し、本件建物は渡り廊下によつて四棟の建物が一棟につながつているが、本来は四棟の建物であるから敷地を棟毎に区分し所要の道路を確保すべきであり、都市計画法の開発行為の許可を要するものであるなどと主張していた。
4 そこで、練馬区長は、地域住民と控訴人との間の紛争を解決し、控訴人が本件建物の建築工事を円満に遂行するためには、地域住民のため本件西側敷地部分の通行の確保を計る必要があり、右通行問題を解決せずに建築確認処分を行うならば、地域住民がこれに抗議しその取消しを求めて紛争を生ずるおそれもあると判断し、また本件土地周辺の将来における開発を考えると本件土地の西側に南北に通じる道路敷地を確保することが望ましいことなどを考慮し、控訴人に対し、地域住民が本件西側敷地部分を通行することを了解し、かつ将来道路建設をする場合には協力する旨の練馬区長宛の念書を差し入れるように求めた。
これに対し、控訴人は、右のような問題は地域住民が直接控訴人に申し入れ、当事者間で話し合うべき問題であるなどと主張していたが、本件建物を新学期に間に合うように完成させるためには昭和五一年一〇月初旬に着工しなければならなかつたため、やむを得ず、同年一〇月五日練馬区長宛に右念書を差し入れた(控訴人は、被控訴人から右念書の差入れを強要されたと主張するが、右念書の差入れは控訴人の任意の判断に基づくものであつて、本件全証拠によるも、右強要の事実を認めるに足りる証拠はない。)。
そこで、被控訴人は、同日控訴人に対し指導要綱九項所定の適合通知書を交付し、控訴人の建築確認申請書を正式に受理した。そして昭和五一年一一月八日建築確認処分がなされ、控訴人は同月中旬本件建物の建築工事に着工した。
なお、被控訴人は、右紛争の調整に当たり、控訴人が翌年四月の新学期開始までに本件建物を完成しなければならない事情にあることを考慮し、行政指導を担当する建築部指導課長が受領していた控訴人の建築確認申請書を建築の確認事務を担当する同部建築課に回付し、同課において事実上の審査を行つていた。
5 控訴人は、当初本件建物の建築資材を本件土地の西側から搬入することを計画し、前記念書差入れに至る調整の過程において、被控訴人に対し、本件土地の西側の私道を通行することができるよう斡旋を求めていたが、住民の同意が得られないままに推移し、結局、本件建築工事着工後に至つて初めて右私道の利用を断念し、当初の計画を変更して、本件土地の西寄りに建築予定のD棟の建築資材を本件土地の東側道路から搬入することにした。その結果、本件土地の敷地内に東側からD棟に至る搬入路を設ける必要が生じ、そのためD棟より東側に位置するC棟の南部を縮小する設計変更を行い、昭和五二年二月二二日建築確認事項の変更届を行つた。なお、控訴人は右変更届に際し、C棟の設計変更のほかに、A棟のロッカー室、玄関スペースについても再検討を行い、混雑時の危険が予想されたので右各部分を拡張(建築面積の増加)することとし、その旨の変更届出も行つた。その結果、本件建物の延べ面積は一〇四・九四平方メートル、建築面積は二六・六五平方メートル縮小された。
また、控訴人は当初本件建築工事による根切土を敷地外に搬出する予定であつたが、周辺の道路事情が悪い上に道路規制も厳しく、さらに本件建物の建築に関し近隣との紛争が生じた関係から隣接空地の利用も困難であつたため、D棟敷地部分にA、B、C各棟の根切土を一時的に積み上げ、A、B、C各棟の工事を先行させることとした。その結果、D棟の完成が当初の計画よりも五か月余り遅れることとなつたが、その直接の原因は右設計変更及び根切土の処理方法の変更によるものであつた。
なお、前記のように本件土地付近の道路事情は極めて悪いため、通勤、通学時、下校時などの時間帯は大型車両の通行が禁止されていたが、被控訴人としては、本件建物の完成が翌年四月の新学期に間に合うようスクールゾーンの規制を解除するなどして本件建築工事の進捗に協力した。
以上の事実を認めることができ、<反証排斥略>、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三控訴人は、被控訴人は本件建築確認申請を処理するについて、本件西側敷地部分の通行問題につき行政指導を行う権限を有していなかったにもかかわらず、これを行い、その間建築確認申請の正式受理を留保し、建築基準法六条三項の法定期間内に建築確認をしなかつたことが違法であると主張するので、この点について判断するに、控訴人主張の本件西側敷地部分の通行問題が建築基準法及び指導要綱上建築確認に当たつて審査すべき事項でないことは明らかであり、右の点の審査、指導のために建築確認申請書の受理を留保し、あるいは建築確認事務の処理を遅延させることは原則として許されないことはいうまでもない。
しかしながら、建築基準法六条三項の定める期間は絶対的なものではなく、建築確認が右期間内になされなかつた場合であつても、右遅滞につき社会通念上合理的な理由がある場合には、右遅滞をもつて直ちに違法とすることはできず、また、いわゆる行政指導は法律の根拠がない場合であつても、それを行うにつき相当な理由がある場合にはこれをなし得るものであり、建築確認申請の処理に当たつて行政指導がなされる場合においても、当該建築申請に関し紛争が存在し、当該紛争を調整するにつき相当な理由があり、かつ当該紛争の内容、紛争の調整に対する当事者の対応状況、調整期間の長短など諸般の事情を総合して、当該行政指導が建築確認申請者の権利を不当に侵害するものと認められない限り、右行政指導をもつて一概に違法なものということはできない。
そこで、本件の場合について検討するに、前記認定事実によれば、控訴人が本件土地を取得する以前は、本件土地の南側に居住する住民が本件西側敷地部分を西武線大泉学園駅へ向かう通路として事実上使用していたが、控訴人が本件土地を取得した後は西側隣接地との境界に塀が設けられ住民の通行が禁止された経緯があること、そのため本件建物の建築に対する地域住民の反対が強く、地域住民三八二名から本件西側敷地部分を地域住民の生活通路として確保して欲しい旨の請願書が練馬区議会議長及び練馬区長宛に提出されていたこと及び本件土地を含む西武線大泉学園駅南側一帯は道路事情が悪く、本件土地周辺の将来における開発を考えると本件土地の西側に南北に通じる道路敷地を確保しておくことが望ましいことなどが認められ、これらの事実並びに被控訴人が地域環境の保全、住民の福祉の増進などの任務を負つている公共団体であることに照らすと、被控訴人が前記認定のように地域住民と控訴人間の紛争の調整、斡旋を行つたことについては相当な理由があつたというべきである。
そして、前記認定事実によれば、控訴人が建築確認申請書を提出してからこれが正式に受理されるまでに二九日を要したことが認められるが、右期間はそれほど長期のものではなく、その間、控訴人は被控訴人の調整を全く拒否していたわけではなく、最終的には控訴人の任意の判断に基づいて前記認定の念書を差し入れたこと、被控訴人は控訴人が翌年四月の新学期開始までに本件建物を完成しなければならない事情にあることを考慮し、右紛争の調整と平行して建築確認の審査事務を行つていたこと、前記確認申請受理から三五日目に確認がなされた後、控訴人は本件建物のA、B、C各棟を予定どおり昭和五二年三月下旬に完成し、同年四月からこれらを使用することができたこと、D棟の建築が当初の予定より遅れて完成が同年四月までに間に合わなかつた原因は、近隣住民において控訴人が本件土地の西側に隣接する私道部分を本件建物建築のために使用することに反対し、控訴人が当初の計画どおり西側私道から建築資材を搬入することができなかつたため前記認定のように本件建物の設計変更を行い、また根切土の処理方法を変更したことにあること及び地域住民と控訴人との間の紛争を解決することは本件建築工事を円滑に遂行することができることにもなり控訴人の利益にもなることなどにかんがみると、被控訴人の行つた行政指導によつて控訴人の権利が不当に侵害されたものと認めることはできない。
以上により、被控訴人が権限のない行政指導を行い、その間建築確認申請の正式受理を留保し、建築基準法六条三項の法定期間内に建築確認をしなかつたことが違法であるとの控訴人の主張は採用することができない。
四控訴人は、本件土地の西側私道の使用につき近隣住民の同意を得るよう被控訴人にその斡旋を依頼したのに、被控訴人はこれについて全く考慮を払わず、一方的に本件西側敷地部分の提供のみを要求し、これに応じなければ建築確認をしないような態度をとつたと主張し、原審における控訴会社代表者本人の供述中には右主張に沿う部分がある。
しかしながら、前記認定事実並びに<証拠>によれば、控訴人が右西側私道を使用することができなかつたのは私道の所有者を含む近隣住民の強硬な反対によるものであつたこと(控訴人は、被控訴人が控訴人に対し右私道を使用しないように申し入れたと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。)、被控訴人は本件建物の完成が新学期の開始に間に合うよう考慮しつつ紛争の調整に当たつていたこと、地域住民側は本件建物の建築計画自体が違法であると主張して本件建物の建築に強く反対し、被控訴人のこれに対する対応を非難していたことが認められ、控訴会社代表者本人尋問の結果中、右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によれば、西側私道の利用について被控訴人の斡旋が及ばなかつたからといつて直ちに被控訴人のした行政指導が控訴人主張のような不公平なものであつたとすることはできず、その他本件全証拠によるも、被控訴人が控訴人主張のような不公平な行政指導をしたものと認めるに足りる証拠はない。
五以上によれば、本件建築確認及びその通知が法定の期間を経過した後になされたことは明らかであるが、本件確認申請に対する被控訴人の対応に違法があつたものとは認められず、したがつて、控訴人の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却すべきであり、これと同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。
よつて、本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官森 綱郎 裁判官高橋 正 裁判官清水信之)